移住したいと思う人の殆どは、自然の中で暮らす田舎暮らしに憧れを抱いていると思います。と、同時に現在の自分の置かれている環境に満足していなく、「この環境から抜け出したい」思っている人も割りと多いのではないでしょうか。
「職場の人間関係に疲れた」
「一人で静かなとこで暮らしたい」
「田舎へ行けば、自分を満たしてくれる何かがあるかも」
何か自分のしたいことをする為の環境として田舎を選ぶのと、都会の疲れた生活からの逃げ場として選ぶ田舎暮らしとでは、意味合いが大分違います。私はと言えばどちらかと言うと後者の方で、30歳の時に米国カリフォルニアでの生活に節目を付け日本に戻って来たのですが、東京の満員電車、風景、人混み、そして職場での不満など、どこかここから抜け出したいとの思いで選んだ先が「田舎への移住」でした。
幸い、私は米国に住んでいた事もあり、人とのコミニュケーションの問題、その他生活における細かなトラブルなどをくぐり抜けた経験が功を奏し、能登の田舎暮らしでのトラブルなどは、割りと「まぁ、そんな事もあるさ」という気持ちで深く悩む事もなく、その都度やり過ごせました。
能登への移住はとても安易な選択だったのかもしれません、しかしいざ住んでみると土地の風土や文化、この土地の人と関わりが、そこに多少の障害があったとしても、それを上回る素晴らしい出会いの連続だったように思えます。移住に関しての選択は、私の場合でいうと結果オーライな運の良い選択だったのかもしれません。
「田舎へ行けば周りの人がとても親切で、都会から来た自分を特別大事に扱ってくれるだろう」という幻想を頭の中にインプットされている人も多いと思います。しかしそれは幻想でしかありません。私の場合、海外生活の経験上、それらのことに関して元々過度な期待をしていませんでした。
驚くかもしれませんが、先祖代々の集落に住んでいても、集落の人達と一切関わりを持たず、集会に顔を出さなかったり、祭りに参加しないという地元の人も珍しくはありません。なので「移住者がそこに住んだ」という事だけで、何か特別扱いされるということはありません。あたりまえですが、親切にしてくれる人もいれば、そうでない人もいます。都会だったら当たり前の環境ですが、田舎だと「思っていたのと違う」と頭にインプットしてしまうのは止めたほうが良いと思います。
集落の人達の目線で見れば、移住者は「どんな人かわからない人」ですから、自分がどんな人物なのかを知ってもらう努力が必要です。「人との関わりをしたくないから田舎に住みたい」という人は、他人に干渉しない都会の生活の方が向いていると思います。
都会生活からの逃げ場として田舎暮らしを選んだ場合、選択の仕方しだいでは、さらに深手の傷を負ってしまう事になるかもしれません。大事なのはたとえ都会の生活に疲れたからという理由で選んだ場所だったとしても、その選択をした事で「この場所で自分は変わるんだ」という意志を強く自分が持ってるかどうかだと思います。
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