2015-04-27

前から読みたかった本、加藤則芳さんの「メインの森をめざして」が先日届きました。北米にある全長2200マイル(3500キロ)のアパラチアン・トレイルを歩く旅を記録した本です。


アパラチアン・トレイルの3500キロという距離は驚異的な数字。北海道の最北端から北から沖縄の最南端まで距離が3300キロほどと言われるので、それを超える長さになります。


自分もアメリカに住んでいた時、よく国定公園などへ行きバックパッキングをしていました。私の場合、人と出会わないような大自然のトレッキングを歩くのは、食料の事を考えるとせいぜい3泊が限界です。この本のように3500キロを4ヶ月かけて歩くなど想像を絶する世界です。

自然の中をただひたすら歩く事の魅力は何かと考えると、自分の小ささを知り、客観的に物事を考えられる思考に切り替わる事だと思います。人と出会わない大自然、一人旅、静寂、そんなシンプルな環境に自分を置くことで、素直に自分と向き合うことができます。


今能登は春の暖かい日々が続いています。青い空と木々の緑、心地よい風は花の香りを運んでくれます。心も体もエネルギーが満ち溢れてきます。またどこかへ旅をしてみたいなと思います。




2015-04-10

ピッツバーグから

今週前半はアメリカのピッツバーグから能登へ来たお客様をおもてなししていました。アメリカに住む彼らと私の共通の友人の勧めで、通常の観光では味わえない日本を求めやって来ました。2週間の日本滞在のなか、能登半島では3泊4日の旅の予定。





能登町と珠洲の農家民宿でピザ作りやそば打ち体験をしました。
出されたものを食べるという事より、自ら作ることにより
より心に刻まれる思い出になります。


多間栄開堂ではこたつカフェで女将さんとおしゃべり。
女将さんと2人はマラソンが趣味と判明し盛り上がりました。



切り出しコンロの坑道を見学。
地中奥深くで切り出した珪藻土をそのまま成形される事に
二人とも驚いていました。



昨年結婚した2人は今回ハネムーンの旅で日本に来ました。東京、京都を周り、能登にも足を運んで、沢山の日本の文化に触れ合ったようです。

外国の旅行者に満足してもらえるようなコンテンツは、まだまだ能登には眠っています。



2015-03-31

梅の木

ここ珠洲にデザイン業を営み3年が過ぎ気づいたことは、年度末である3月が毎年忙しいということ。気づけばブログの更新が途絶えてしまいました。



昨日家のポストを開けると、以前朝の連ドラ「まれ」に関わる取材でお会いしたNHKの方からハガキが届いていました。いよいよ放送が始まります、とのこと。

放送開始二日目の今日の放送を見ていたら、田舎移住者あるあるな内容に笑みがこぼれてしまいました。コミカルな展開で包み込んでますが、「夢と現実」という課題は移住者についてまわるお話でもあります。



昨年は仕事も増えてがむしゃらに動きまわった一年でしたが、確定申告を済ませ目にした数字に、頑張った思いとは少しずれた結果がそこにはありました。自分のやった事をひとつひとつ振り返ると、収入の無い仕事である地域ボランティアと、本業の地域デザインの仕事のバランスが崩れていることがわかりました。

なんとなくわかっていたことですが、数字になるとはっきりと現実を突きつけられる思いです。

移住当初は珠洲の道の駅でサラリーマンをしていて、地域活性の限界を感じ独立しました。その反動もあってか退職してすぐは半年間仕事をせず、地域活性の無収入な活動を、知り合いに協力を求めながらも、ほぼ個人プレーで動いて行っていました。当時私の周りでは「それでは生活ができない!」と心配のあまり、厳しい意見を言う方もいました。しかし結果としてその時やった事、つながった人々のお陰で、今の仕事が営業を一切せずとも口コミだけで廻っている結果に繋がっています。

田舎の生活は地域コミュニティーとの関わりがあるので、私のケースに関わらず、この地域の皆さんは以外と忙しい生活を送っているのが現状です。ただ、わかったことは、仕事と地域活動という間には守らなければいけない、一定のバランスがあるのだと思います。特にフリーで動ける様な自営業は、その境が自分の目でも他者の目でも、だんだん不透明なっていきます。私の場合、今現在不自由なく珠洲で暮らせていますが、デザインで地域を豊かするという仕事のクオリティーの面では、まだまだ満足どころか、基準値にもいたらないと思っています。





人間ってめんどくさいね〜
ところで春って気持ちいいね〜
by Hana

小難しい事を考えていると
外ではなさんが春の陽気に誘われてごろんごろんしています。




毎年花の付きがいまいちな手入れを怠った梅の木が家の前に立っています。昨年暮れに恐る恐るですが思い切って大きく伸びた沢山の枝を半分以上ばっさりと切ってみました。今その梅の木はきれいな花を咲かせています。


昨日もう一つのサプライズな便りがフランスの知り合いから届いていました。

「ガイジンだろうが関係ない、やれば出来る!って以前私に言ったよね。で、日本に本気で移住したい。珠洲が候補。フレンチレストランやりたい。就労ビザ取ったし、とりあえず、また4月に珠洲行くから!」


改めて梅の木の切った枝をよく見てみると、その脇から無数の新しい枝が伸びていることがわかりました。なんだかまた忙しくなりそうです...。




2015-02-26

能登と日本酒と発酵文化

半分仕事、でも半分は興味本位という立場で、この冬は二軒の酒蔵を回りました。冬から春までの間に能登では酒作りが続けられます。能登には昔から能登杜氏と言われる酒作りの職人集団がいて、日本の各地で活躍するほど、日本酒との関わりが深い土地です。

先日お伺いした羽咋市の御祖酒造では、祖父の後継に東京からやってきた女社長の藤田さんと、杜氏の横道さんが酒作りのお話をしてくれました。この酒蔵で作られる酒は県内以上に、東京などの大都市で毎年完売してしまうそうです。その訳は、料理に合う酒、食中酒を作ることに魂を注いでることから、そのこだわりの味が都会の客層に受け入れられているからだそうです。


樽の中を覗くとふわふわに膨れた発酵の力に驚きました。


杜氏である横道さんはとても丁寧に酒作りのことをお話ししてくれ、なおかつその論理的な知識の深さにも関心しました。藤田社長はとてもお茶目な方で、横道さんとのやりとりはまるで漫才コンビです。ただ、お互い酒作りの話になると目が真剣になり、ぜったいに曲げられないこだわりのようなものを感じました。



もう一つの酒蔵は私の友人の酒蔵、松波酒造。ちょくちょくお客さんを連れて酒蔵見学などをよくさせてもらっている場所です。僕は本当にこの酒蔵の雰囲気が大好きで、カメラを持つと我を忘れてシャッターを切ってしまうほど、味のある酒蔵です。

伺ったのは昨年末の酒米を蒸す作業の時でした。松波酒造は家族経営の昔ながらの小さな酒蔵です。蔵の中の道具や機械も年季の入ったものばかり。



 杜氏は私も仕事で関わりのある上黒丸地区の方でした。昔から使われている古い釜で蒸しあがった酒米を少しだけ味見させて頂き、予想に反してもっちりして甘みがある味に驚きました。


松波酒造のお酒は友人で僕と同じ年の聖子さんが、この小さな酒蔵で作った酒を精力的に販売しています。今では海外でも取り上げられ、日本以外でも販売しているほどです。


もうすぐ能登杜氏を題材にしたドキュメンタリー映画も上映されます。題名は「一献の系譜」。監督は「ひとにぎりの塩」という、珠洲の塩田を舞台にしたドキュメンタリー作品の石井かほり監督です。彼女は能登杜氏の酒造りはもちろんのこと、上黒丸地区にも何度も訪れて撮影をしていました。珠洲の棚田や米作りの風景、そして上黒丸のアエノコトをドキュメンタリーの素材として使うため、二年間沢山の時間を費やし、撮影をしていたようです。

発酵食品とそれに繋がる能登の里山里海の文化は、いま再びスポットライトがあたり、注目さてているようです。能登の埋もれた宝が再び磨かれて人々の手に届くことに、この地に暮らす人間として喜びを感じます。



「一献の系譜」公式サイト:http://ikkon-movie.com/project/index.html




2015-02-10

伝える力


吹雪のある日、珪藻土コンロを生産する能登燃焼器工業へおじゃまさせて頂きました。案内をしてくれたのは舟場さん。東京で公務員の仕事をしていたのですが、父親の後を継ぐべく数年前に30代の若さで珠洲へ戻って来た方です。

珪藻土コンロは昔、珠洲を代表する主力産業で、法人、個人問わず珠洲のいたるところで生産されていました。人々の火の扱いが、炭からガスへ移るとともに生産量が減り、珠洲でコンロを生産する会社は今では数社を残すのみとなっています。

最初に舟場さんは珪藻土の採掘場である坑道へ案内してくれました。迷路のような暗い坑道の奥深く、黙々と珪藻土の壁を削る職人がいました。職人は一人、槍の様な長いノミを使い珪藻土の壁を四角く削っています。誰もいない暗い坑道でザクッ、ザクッという音を響かせ一人黙々と作業する職人の後ろ姿が印象的でした。





坑道を出ると舟場さんのお父さんが、坑道から削りだした珪藻土の固まりを整形していました。機械で丸くされた珪藻土の固まりを、感覚だけで整えていきます。底の接地面は平らでないと商品にした際に傾いてしまうのではと疑問に思いお伺いしたら、「感覚で水平にする」と答えが帰ってきました。船場さんのお父さんは、平らなノミを取り出すと、チョコレートを削るようにザクザクとコンロの底を平らに整えていきます。

「ここまで出来るようになるには30年はかかる」

お父様が言われたその言葉には、18才からこの道に入り、40年以上休みなく働いてきた職人の重みがありました。


 様々なコンロの形に合わせ沢山の種類のノミがあります。



整形後は窯で焼かれ、金具で補強すると珪藻土コンロに仕上がます。暗い坑道の中で発掘されるかのように切りだされるプランクトンの化石、珪藻土。その珪藻土の塊を地上へと掘り出し、再び命を吹きこむように成形して形作られた珪藻土コンロ。こんな行程をたどり一つのコンロが出来上がる事に驚きを感じます。

今の時代だからこそ、1つのモノが完成するまでのものがたりをしっかりと伝えることが重要視され、こうした古くからあるモノ作り産業も再び陽の目を見ることに繋がるのかもしれません。



2015-02-03

能登の冬


雪かきに毎日追われるような冬はどこへいってしまったのでしょうか。2月に突入しても、すぐに溶けてしまうような雪しか降ってきません。

北陸の冬、とくに能登は豪雪地帯と思われている方もいるかもしれませんが、一部山間部を除いて、海岸部と平野部はそれほど雪が積もりません。とくに珠洲は高い山も少なく、一部の地域を除いては、雪囲いをして家を守らなくてはいけないほどの雪は積もらないのが現状です。








冬の時期は外出が億劫になってカメラを持ち出す機会も減るのですが、たまに外へ出かけると、能登の冬の美しさに心を奪われます。

冬から春に変わっていく、その移り変わりにも目をむけてゆきたいと思います。



2015-01-09

能登移住6年目


2015年、新しい年が始まりました。今年の春で能登へ移住して6年目を迎えます。振り返っても、ついこの間の出来事のようで、時の早さに驚かされます。

移住を決意した当時は、能登へ移住した人達の情報がネット上で乏しく、能登での暮らしがどのようなものになるのか想像がつきませんでした。そして、このブログを始める切っ掛けも「もっと能登移住を考える人達への情報が必要」と、自分が実際に移住前に感じた実体験から始まったものでした。

今では人と人をつなぐソーシャルネットの発達も有り、沢山の情報があふれるようになり、能登への移住に関しても情報が多くなったような気がします。

移住、就職、独立という過程を経て、私という人間が今も能登で暮らせている。他人から見たらとても小さな出来事かと思いますが、移住を考えている方々が「わたしでも移住できるかも」と思えるような生き方を、これからもこの地でしてゆきたいと思います。