2017-06-30

田舎暮らしに不便を感じるか?



「田舎に移住して日々の日常に不便なことはないですか?」

よくこんな事を取材などで聞かれることがあります。取材する側からすると、田舎暮らしの良いとこだけ書くわけにはいかないので、最後の質問で聞くのでしょう。ただ、この質問、毎回すっと答えが出てきません。私自身、正直あまり普段ここでの暮らしに不便を感じてないからです。毎回聞かれるので、何か決まった答えを選んでおこうと思うのですが、あれこれ悩んだ末に絞り出す感じなので、なんだか無理やり答えてるようで、しっくりこないのです。

”移住して7年、正直な話、田舎暮らしで不便を感じたことがないのです”

あったとしても、記憶からすぐになくなってしまうような、しょうもないこと過ぎて、あえてそれを声に出して言うことでもないような話がほとんどです。

「どんなとこが不便じゃないですか?」

ともし聞かれたほうが断然喋りやすいのですけどね。


<日用品の買い物事情>

私の住む珠洲市は能登半島のさきっぽという地図で見ると辺境の地に思われるかもしれませんが、スーパーが3軒、ドラックストアーも3軒、24時間営業のコンビニは4軒もあり、我家は田畑や森に囲まれた場所ですが、それらのお店に行くのは車でだいたい片道15分以内でいけます。珠洲の中心街から離れた集落でも、おそらく片道30分あれば行けると思います。

魚などは地元で朝捕れたものが並び、都会から比べると格安価格で買うことも出来ます。生鮮食品以外はドラックストアーで買います。チェーン店なので、都会と同じ価格で買うことが出来ます。コンビニは24時間やってますので、ここぞという時に活用しています。

<日用品ではないもの>

これはネットで買い物をします。大体のネットショップは当日午前中に頼めば、翌日には届くところが多いです。家電量販店などはないので、その手のものはネットで購入します。大型家電もネットで購入しました。取り付けが必要な家電は業者が来てくれます。

極稀に珠洲よりちょっと都会なお隣の市に出かけたり、2時間かけてモールなどに出かけることがありますが、これはちょっとした遠足気分で行く感じです。

<病気になったら>

市内にりっぱで大きな総合病院があります。緊急の場合はそこへ行きます。そこで間に合わないような事があれば、もう少し都心部に行かなくてはなりません。最先端の医療を〜、と言い出したら流石に田舎では無理でしょうね。




日用品の買い物に関してはほとんど困ることは無かったです。特にネットを活用すれば都会との格差を感じることはありません。流行りのお店でご飯を食べたい、とかになると都市部に行かなくてはいけませんが、普段から新鮮な野菜や魚を食べているので、食に関しては基本的に充実してると思います。

もちろんこれらの事は「都会と同じ生活水準をおくれる」で語っているのではなく、「最低限のものはある」という事です。生活する上での「最低限のもの」は、人によってイメージが違うでしょう。ただ、都会から田舎に移り住む人々は、基本的にシンプルライフを求めています。都会の生活で当たり前に周りについてくる過剰サービスや、便利という名の思考停止な生活、そんな「当たり前」を一度見直すには、田舎の生活はとても豊な暮らしのように思えます。










2017-05-28

"のとじかん" な田植え旅







東京から田植えに今年もやって来てくれました。なんと今年は沖縄からの参加者も。

田植え作業終わりには皆さん腰をあいたたた。それでもでも充実した時間です。






のとじかん

能登の流れに身をまかせ、身も心も癒やされたかと思います。

稲刈りの時期、またお会いしましょう。




2017-04-30

移住しても仕事がないのか?



憧れの地方移住、しかし現実的に考えると働き口があるのか?という問題があるかと思います。実際、移住の相談を受けるときも「仕事はありますか?」と聞かれることが多いです。移住する決意はした、家の確保もできそうだ、しかし収入を得る先が...と結局「仕事」が最後の砦となり前に進まない方も多いと思います。無論、その土地に関係なく自分で仕事を作り出せる人には今回のお話は関係ありません。

私の場合は、移住のきっかけが石川県の実施した「農業体験研修」に参加したことだったので、最初は県職員に相談しながら「就農計画」という書類を作り珠洲市で農業をする予定を立てていました。なぜ就農なのか?それは田舎で田舎らしく出来る仕事が「農業」くらいにしか単純に思っていなかったからです。ただ恐らく、田舎で農業でもして暮らせれば、と思っている移住希望者は多いのではないでしょうか。

実際、農業や漁業などは国、自治体の支援体制が整っているので、他の事業を開業するよりは大分優遇されているのは事実です。私は就農計画を作成し、市役所の移住担当窓口に相談している中で、「就農前にまず地域を知るために働いてみませんか?」というお言葉を頂き、運良くオープン予定であった道の駅で働くことが出来ました。第一希望の職業では無かったのですが、結果的にやりがいのある仕事を見つけることが出来ました。

道の駅では沢山の経験をし、地元農家の方との繋がり、現地での農産物流通の現状など多くの事を学びました。そこで感じたのは農家も生き残り競争の中の「ビジネス」で戦っており、過疎地で生き残っている専業農家はそれなりの技術、ノウハウ、センスをもっておられたということ。何も考えずただ、「田舎の仕事=農家」程度にしか考えて無かった自分にはとても勝負できる場所ではないなと考えました。

道の駅での仕事は元から数年だけ働くと決めていたので、1年半で退社。その後は生産者、物づくりなどに関わる地域の人をサポートしたいと思い、デザイン会社を作り、プロダクトデザイン、広告デザイン、などの仕事を現在しています。



移住しても仕事がないのか?

結論から言えば仕事はちゃんとあります。ただ都会のようによりどりみどり選べるという事はありません。地元のハローワークに言っても求人数は都会に比べ圧倒的に少ないです。現地の人が仕事を求め都会に出ていくことで、過疎になっているのですから、こればかりは仕方がありません。

国家資格を持っているとか、何か特別なスキルが有るならば、過疎地が故に人が来てくれないという職場もありますから、チャンスがあるかもしれません。都会でのビジネス経験を活かして、行政の臨時雇用などで地域支援などのポジションを狙うのも良いかもしれません。接客業が得意なら、ホテルや旅館なら比較的定期的に求人が出ています。仕事はなくなはいのです。ただ、選択肢は多くないということです。

また田舎の給料の額ですが、私は覚悟しつつも当初びっくりした記憶があるのですが、最低賃金より上だから問題ないと考える経営者も多く、圧倒的に低い賃金の働き口が多いように見えます。アルバイトやパートの時給は、都会の高校生のアルバイトよりも低い職場が多いです。正社員になっても都会に比べ給与が低いのは同じです。ただ、これらの事は日本全国の過疎地で当たり前という事は考えればわかります。しかし、いざ実際自分がそこへ移住して働き先を探すとなると、突きつけられる現実として、身にしみて実感することになるかもしれません。

とはいえ、単純に貰うお金に対して、出て行くお金はどれくらいだろうか?と考えていかないとまったく意味がありません。私の場合、東京で仕事をしていた時と道の駅で働いた時の給料ではマイナス10万円ほどになりました。実際暮らしてみて、感じたのはそのお給料でも問題なく生活出来ましたし、貯金も出来ていました。



「田舎への移住生活」という言葉の中に含まれるのは「くらし」なのか「しごと」なのか、それともその両方なのか?例えば、その土地で生活できるだけの収入が得られれば仕事内容はこだわらず、週の休みは農作業や自然を満喫し「自分の好きなことが出来ればよし」、とするのか?それとも、暮らしだけでなく、仕事の中でも「移住ならでは、田舎ならではの職に就きたい」と考えるか?想い描く田舎暮らしのビジョン、良しとする生活レベルは人によって違います。

大事なのは田舎暮らしのどこに満足感(幸福感)を得るのか?だと思います。これは人それぞれ感じ方が違うので、自分の中でしっかりと整理しておけば、移住を選択する時の迷いがなくなると思います。







2017-03-31

移住は都会生活からの逃げ場なのか?




移住したいと思う人の殆どは、自然の中で暮らす田舎暮らしに憧れを抱いていると思います。と、同時に現在の自分の置かれている環境に満足していなく、「この環境から抜け出したい」思っている人も割りと多いのではないでしょうか。


「職場の人間関係に疲れた」
「一人で静かなとこで暮らしたい」
「田舎へ行けば、自分を満たしてくれる何かがあるかも」


何か自分のしたいことをする為の環境として田舎を選ぶのと、都会の疲れた生活からの逃げ場として選ぶ田舎暮らしとでは、意味合いが大分違います。私はと言えばどちらかと言うと後者の方で、30歳の時に米国カリフォルニアでの生活に節目を付け日本に戻って来たのですが、東京の満員電車、風景、人混み、そして職場での不満など、どこかここから抜け出したいとの思いで選んだ先が「田舎への移住」でした。



幸い、私は米国に住んでいた事もあり、人とのコミニュケーションの問題、その他生活における細かなトラブルなどをくぐり抜けた経験が功を奏し、能登の田舎暮らしでのトラブルなどは、割りと「まぁ、そんな事もあるさ」という気持ちで深く悩む事もなく、その都度やり過ごせました。

能登への移住はとても安易な選択だったのかもしれません、しかしいざ住んでみると土地の風土や文化、この土地の人と関わりが、そこに多少の障害があったとしても、それを上回る素晴らしい出会いの連続だったように思えます。移住に関しての選択は、私の場合でいうと結果オーライな運の良い選択だったのかもしれません。



「田舎へ行けば周りの人がとても親切で、都会から来た自分を特別大事に扱ってくれるだろう」という幻想を頭の中にインプットされている人も多いと思います。しかしそれは幻想でしかありません。私の場合、海外生活の経験上、それらのことに関して元々過度な期待をしていませんでした。

驚くかもしれませんが、先祖代々の集落に住んでいても、集落の人達と一切関わりを持たず、集会に顔を出さなかったり、祭りに参加しないという地元の人も珍しくはありません。なので「移住者がそこに住んだ」という事だけで、何か特別扱いされるということはありません。あたりまえですが、親切にしてくれる人もいれば、そうでない人もいます。都会だったら当たり前の環境ですが、田舎だと「思っていたのと違う」と頭にインプットしてしまうのは止めたほうが良いと思います。

集落の人達の目線で見れば、移住者は「どんな人かわからない人」ですから、自分がどんな人物なのかを知ってもらう努力が必要です。「人との関わりをしたくないから田舎に住みたい」という人は、他人に干渉しない都会の生活の方が向いていると思います。


都会生活からの逃げ場として田舎暮らしを選んだ場合、選択の仕方しだいでは、さらに深手の傷を負ってしまう事になるかもしれません。大事なのはたとえ都会の生活に疲れたからという理由で選んだ場所だったとしても、その選択をした事で「この場所で自分は変わるんだ」という意志を強く自分が持ってるかどうかだと思います。








2017-02-15

あらためて移住について書いていこうかと



珠洲に移住したのが2009年3月、もうすぐ8年目を迎えます。珠洲に移住を検討していた当時、すでに珠洲で移住生活をしてる人達の情報がネットで出てこず困った経験を元に、自分が移住したら絶対にブログを作ろうという思いがあり、このブログを初めました。

そのブログも最近では書く気力がなくなってきてしまいました。何故なのか?と自分自身に問い詰めてみると、一つの答えが見つかりました。

「もう自分自身、移住者という意識がない」

それが答えでした。では、珠洲人なのかと言われると、そんな感じでもなく、どこか宙ぶらりんな立ち位置かもしれません。集落の神社の氏子になり、珠洲の同世代の人達との温かい交流があり、集落のじいちゃん、ばあちゃんの方々からは相変わらず可愛がってもらってます。人間関係は割りと上手くいっている方だと思います。ですが、おそらく自分は死ぬまで珠洲人にはなれないような気がします。ただ、昨年息子が生まれたので、この子は珠洲人として生きていくのだろうなと思い、この子の成長が楽しみです。

私が移住をした頃は「東京から移住者が来た」とちょっとだけ珠洲で話題になりましたが、今では当時に比べ珠洲にくる移住者が増え、特に珍しい出来事でもなくなりました。

たまに新しく来た移住者にお会いすると、「移住前からブログ見てました」と言われることがあります。「最近更新して無くて申し訳ないです...」と私は言い、その度に何か書かなくては...と思うのですが、書くことが思い浮かばないのです。移住当初はあれもこれも毎日が驚きの連続な日々でしたが、今では当たり前の日常になり、大体の「田舎あるある」情報は書いてしまったので、書くことがない、つまりネタ切れ状態に陥ってしまいました。

ただ、最近気付いたのですが、移住に関してありのままの生活をこれまで書いてきましたが、移住して8年目の今年、「これまでを振り返って移住に関して思った事」という事なら書いていけるのではないかと思いました。

正直な気持ち、昨今の移住ブームに関して厳しい意見も自分の心の中にくすぶっているように感じいます。そんな移住に関してのこれまでの8年を振り返っての正直な意見、またちょっと偉そうですがアドバイスなどを、月1ぐらいのペースで書いていけないかな?と今思っています。

長く書きましたが、今後はそんなテーマでこのブログを運用出来ればなと思っています。今ぼんやり思う個別のテーマは移住先での「仕事」「人間関係」「移住に向いてる人、向いてない人」「移住に関しての幻想」「これだから田舎は...思考はどうなの?」「なんでも先進地事例、それって...」「出会いは?」「都会人の押し付け」「伝統継承とこれから」「移住すると幸せなんですか?」「過疎、ゴーストタウン化」などが頭に浮かんでます。

さて、ここまで書いておいて、これらのテーマをコンスタントに書いていけるのでしょうか...。あまりノルマと考えず、気ままに書いていこうと思います。

最後にこれまでもブログで度々書いてきましたが、今も変らず珠洲での日々に「しあわせ」を感じ暮らしています。これだけはこれからも変らないと信じています。






2016-10-17

稲刈り from 東京


今年も春にみんなで植えた稲を刈りに東京からの御一行が来てくれました。今回は2名の初参加を含めて東京からは8名の参加です。









今回もわいわいと楽しく稲刈りを済ませました。山間地で低農薬育ちのこの稲は、毎年おいしいお米になります。毎年毎年リピーターになってやって来てくれる彼らもまた、この美味しいお米の虜になっているのです。



そして今年は嬉しいニュースも飛び込んできました。昨年開催したこの旅が出会いで、結婚されたカップルが出来たのです。そして能登スタッフの1人が神社の宮司さんという事もあり、今回能登の神社で伝統的な婚礼の儀を行い、稲刈り参加のみんなで二人を祝福しました。

この企画を始めた時にこれをきっかけに移住者やカップルが出来たらいいね、と話していた頃を思い出しました。それが実現となり感無量です。

これを気にもっとこのような出会いに力をいれようよ!、と能登スタッフで話しが盛り上がりました。今後もこのような素敵なつながりを増やせていければ良いなと思います。






2016-10-11

今年もポーランドから




今年もポーランドから日本語を勉強する大学生が珠洲へやって来ました。

今年はただの観光をやめ、地域との繋がり、そして彼らの語学力UPのために、今回は地元の小学校を訪問する事にしました。



国際交流という形で、午後の1時間を私達の時間に当ててくれました。授業ではポーランドの伝統的な民族ダンスをみんなで踊りました。

最初はシャイだった子供達は次第に笑顔になり、最後はポーランドの学生たちと溶け込み、会話を日本語でするほど仲良くなっていました。







彼らの旅のメインイベントであるキリコ祭りの参加も行いました。ドテラという祭りの衣装を着ると、その日本的な装いに興奮が冷めやまないようでした。

前日に訪問した小学校が、祭りの地域の子供達が通う地区だったので、ポーランドの学生達は地域の人達とすんなりと溶け込み、例年よりも沢山の地域の人々との交流を深めることが出来たようです。




日本らしさが残る珠洲へ来て、伝統的な日本の姿を感じたポーランドの学生達。きっと国に戻った彼らの語る日本というイメージは、普通の観光で日本を訪れる人達とは、違った視点をもっていると思います。

沢山の地域の人達の協力で今回もすばらしい旅を彼らに提供できました。また、このような地域に住んでいることを、改めて誇りに思います。